6・逆田(さかた)

尚円王(金丸)が24歳で島を出るまで、実際に耕作していた水田。現在でも原型のまま残されている。

 

伝承によると、貧しい農家に生まれた金丸(後の尚円王)は、幼い頃からこの田んぼで水稲の農作業を手伝っていたとされています。
そんな逆田は、毎年のように豊作がつづき、干ばつの続いた年にも逆田だけは水が涸れることはなかったそう。
「水が逆さに流れた田んぼ」ということで「逆田」の名がつけられたと伝えられている。

田んぼの脇には、その由来を示す「逆田」碑が設置されています。
琉球王国の歴史を語る上で欠かせない史跡の一つです。

尚円王の幼少期の生活を偲ぶ場所として、御庭公園やみほそ所と合わせて、尚円王の足跡を辿る旅の一部として訪れることをおすすめします。

(本記事の一部はAIを活用して作成しています。)

 

https://maps.app.goo.gl/9stfqPzq1TD3XgNk8